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カテゴリ:老舗・伝統産業( 5 )

 

10連休に懐かしむ(喜多方の若喜商店)

喜多方市にある老舗の醤油醸造「若喜商店」は大型連休中、観光客でにぎわっている。社長の冠木紳一郎さん(63)は「『令和』になっても古き良き明治、大正、昭和そして平成を懐かしんでほしい」と話している。
創業は1755(宝暦五)年。明治から大正にかけて建てられた八つの蔵があり、「蔵のまち・喜多方」のシンボルとなっている。1931(昭和六)年に造られたモダンな店舗、1904(明治三十七)年に建てられた「レンガ蔵」は国登録有形文化財に認定されている。
大正時代に建てられた木造二階建ての室(むろ)を利用して「若喜昭和館」を十六年前にオープンさせた。昭和三十年代から五十年代をテーマにした駄菓子店で、昭和の世界にタイムスリップしたような感覚になる。プラモデルやブリキ玩具、映画のポスターなどが展示・販売され、昭和時代を知らない世代も楽しめる。
厳選した丸大豆や小麦、赤穂の天塩を使い、土蔵の木おけで二年間熟成させた「天然醸造しょうゆ」などが土産品として人気だ。営業時間は店舗が午前九時から午後五時まで、昭和館が午前十時から午後三時まで。問い合わせは若喜商店 電話0241(22)0010へ。
【福島民報 2019.04.30】

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若喜商店(2015年撮影)


喜多方の古い町並の中心にも位置するこの醤油店、数年前の写真しかないが裏手に多くの土蔵を従えた商家であることは訪ねた時印象に残っていた。
このエリアは以前アーケードに覆われていて、建物の全容が見えづらかったが、2015年に訪ねた時には撤去されていてすっきりとした町並になっていた。ただ率直な感想を示すと、アーケード撤去と同時に電線も埋設してしまったことで、今度は何だか作製感が拭えない感じになったことが少々引っかかるのだが、撤去の判断は正解だったと思う。
古い建築を所有するこうした店舗主など、それぞれが意識され発信されることはささやかながら大きな力となることだろう。
探訪先の地方紙で見た貴重な情報だった。


by mago_emon2 | 2019-05-03 20:32 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

旧街道の活性化 老舗新社長誓う(可部・旭鳳酒蔵)

広島市安佐北区可部の旧雲石街道沿いにある旭鳳酒蔵の社長が26年ぶりに代わり、専務だった浜村洋平さん(26)が就いた。旧街道一帯はかつて酒蔵や山繭問屋が多く並び、にぎわったが、今は空き家などが目立つ。浜村さんは酒造りとともに街道の活性化を誓っている。

1989年から社長を務めていた父親の泰司さんが6月30日、肺炎をこじらせて64歳で死去。長男の浜村さんが7代目の社長に昇格した。同社は江戸時代の1865年創業。地下水に恵まれた可部は古くから醸造業が栄え、戦後は旧街道沿いに蔵元が4軒あったが、久保田酒蔵(同区)など2軒になった。
旭鳳酒蔵は、旧街道沿いで散策客に楽しんでもらう住民主催のイベント「町めぐり」に毎年協力し、蔵元コンサートを開くなどしてきた。浜村さんは「人とのつながりが大切と父に教わった。地域との絆を強める姿勢はこれからも変わらない」と強調する。
同地区の住民グループ「可部夢街道まちづくりの会」の調査によると、旧街道には昭和初期、南北約1.5kmに民家や商家が計281軒あったと推定されるが、ことし3月には同社を含む37軒しか残っていないという。風情ある町並みが損なわれる懸念が広がる中、梶川暢之副会長(81)は「可部の老舗。若社長らしく、旧街道のまちづくりにも新風を吹かせてほしい」と期待している。
【中国新聞 2015.09.19】

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旭鳳酒蔵(2014.10撮影)

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酒蔵コンサートの様子(2011.10撮影)

旭鳳酒蔵は、可部の旧街道沿いにあってランドマーク的な建物だ。そして記事にもあるように最近恒例となっている秋の町めぐりイベントに際しては、土蔵を利用したミニコンサート、酒の試飲などが行われ主な会場の一つとなっている。
古い町並や伝統的建物の保存、まちづくりといった取組に関しては、地元の年配者、または学識者などが主導になる印象が強く、実際そのような例が多い。
将来にわたり、町並に新しさを取り入れながらも歴史を感じるものにしようとするなら、一度きりの対策では不十分だ。年配者ばかりの動きでは、一度はそのような気運が高まっても、次の世代にどのようにその精神を伝えるかといったことも問題になってくるだろう。
町並の中心的存在といえる造り酒屋、この若い社長に大いに期待したいところだ。

by mago_emon2 | 2015-09-23 15:35 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

高殿の改修工事が終了

たたら製鉄の遺構と集落が残る雲南市吉田町の国重要有形民俗文化財「菅谷たたら山内」にあり、全国で唯一現存する高殿様式での製鉄施設の改修工事が完了し30日、2年ぶりに一般公開を再開した。
高殿は木造平屋330平方メートル。内部には製鉄炉、砂鉄や炭を置いた土間が残る。1851年建造とみられ、1921年まで操業していた。屋根や柱に損傷が進んだため、所有する同市教委が2012年10月に改修を開始。はりや鉄骨を追加するなど補強もした。事業費は約1億8千万円。
同日あった式典には関係者約30人が出席。同市の速水雄一市長は「世界で唯一の産業遺産。まちづくりに生かして生きたい」とあいさつした。
(「中国新聞」2014.12.01)

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高殿(2012年撮影)
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吉田の市街地にはたたら製鉄、鉄山も営んだ大地主宅が土蔵を従えて残る

中国山地は砂鉄が豊富に取れるところで、江戸時代には山を切り崩し川で洗い流して砂鉄を得ていた。下流の地形が変わったといわれるほど盛んなものだった。
たたら製鉄は各地で行われていたが、高殿の遺構は貴重で、たたらといえばまず吉田というほど有名なところである。
高殿は10年以上前にはじめて訪ね、地元の人に案内して貰ったが、そこから数キロ離れた吉田の中心部に残る土蔵群を中心とした町並があることで、この遺構の価値も高まっているように思う。
吉田の町並と連携した取組も期待したいところだ。

by mago_emon2 | 2014-12-03 23:32 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

長門・俵山温泉 客減少歯止めへPR

訪れる温泉客の減少に歯止めをかけようと、長門市の俵山温泉が、泉質が美容や健康に与える影響を調査し、効能のPRに乗り出した。科学的に分析した内容で、幅広い世代の利用客を呼び込みたい考えだ。
山あいにひっそりと約20軒の宿がたたずむ俵山温泉は、916年に開湯。強アルカリ単純泉で、特にリウマチに効能があるとされ、湯治客に親しまれてきた。
ところが、1970年前後に約70万人に達していた利用客数は、昨年には約19万人にまで減った。民宿もここ十数年で急激に減少。利用客の呼び込みは喫緊の課題だ。
(中略)泉質や町の雰囲気について、温泉研究で知られる札幌国際大の松田忠徳教授(観光学)が山形県の肘折温泉と双璧をなす「西の横綱」と評した俵山温泉。俵山温泉合名会社は実験データや効果的な入浴法などを盛り込んだ温泉手帳を作成し、配布する予定だ。
【中国新聞 2014.05.14】

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俵山温泉街の風景(2004)

温泉は相変わらず人気のように認識されているが、このような昔ながらの温泉街の旅館は苦戦している例が多いようだ。賑わっているのは、一部の知名度・話題性の高い温泉地、一部の旅館やホテルのみであって、地方の零細な温泉地は軒並寂れているといってもよい。
この俵山温泉は、科学的根拠から温泉の効能を立証し、売り出そうという考えだ。常連の湯治客にモニター調査を依頼し、効果を実証している。
温泉街の町並も昭和レトロを想起させる渋い佇まいで、今後は温泉街としてこのような場所が再注目されることを願いたい。

by mago_emon2 | 2014-05-14 23:38 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

「百年企業」~老舗に学ぶ-66-

「月山」の銘柄で知られる吉田酒造は、月山富田城のあった安来市広瀬町広瀬に蔵を構え、「品質第一」をモットーに、良質な米と水で仕込む大吟醸など25種類を販売する。全国酒類新酒品評会では、5年連続を含む通算14回の金賞を受賞。海外輸出や夏専用酒の販売などを新たな取組を展開し、のれんを守る。
創業は江戸中期の1743(寛保3)年。鈴木家が「安屋」の屋号で広瀬藩から醸造許可を受け、1826(文政9)年に藩の御用酒屋になった。明治に入ると、安屋の番頭だった吉田家2代の清兵衛さんが、安屋から酒造業免許を譲り受けて同社初代となった。
(中略)90年代は、日本酒離れと規制緩和の影響もあり、小売店が減少。売り上げは(75年頃に比べ)3割落ちた。
その中でも、93年頃から東京で地酒ブームが起き、デパートが地酒を扱い始めた頃から東京の問屋との取引を開始。純米酒など特定名称酒が売れ、全体の販売量は約1割増加した。
さらに、日本酒輸出協会役員だった松江市の蔵元の紹介で98年、同協会に加盟すると、米国や香港、シンガポールへ純米酒などを200リットル輸出した。現在、韓国や中国、台湾を加えて輸出量は計6000リットルに拡大し、屋体骨に成長した。
(後略)

(「山陰中央新報」8月7日)

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広瀬の吉田酒造(2003年撮影)


古い町並も残る広瀬の町の中心に存在感を示すこの酒造家は、山間部の小さな町の割には構えが大きく、古くから繁盛を続けておられる様子がうかがえた。しかしそれはこの記事のように都市部への売り込みや海外に販路を拡げることにより実現したものだ。
私の住む町にもかつて小さな造り酒屋があった。子供のころ祖父に連れられてその酒造家の脇を通ると、なんともいえぬ香りが漂っていて、子供心にここでは大人の嗜む酒というものが造られていることは察していた。
早い時期に廃業され、現在は土蔵一棟にその残り香があるのみだが、こうした例は無数にあり、日本酒離れの時期に従前の販売方法を取りつづけた零細な業者は軒並その活力を失い、多くの銘柄が消えていった。私は日本酒が格別に好きという訳ではないのだが、それでも各地に出掛けると当地でしか手に入りづらい銘柄の酒を時折求める。その楽しみが旅人から減っていくことは、そのまま旅情が薄れることにつながるのではないかと。この記事を読んで思ったことである。

by mago_emon2 | 2013-08-07 22:59 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)