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潮待ちの歓楽街 繁栄の跡 (進む老朽化 残るは7棟)

大崎上島の木江港一帯は、3階建て以上の古い木造建築が並ぶ独特な景観で知られる。潮待ちの港の歓楽街として栄えた名残で、4年前には県の観光ガイドブックの表紙も飾った。建物は老朽化などで次第に姿を消しており、残るは7棟。関係者は「島の歴史を映す貴重な存在を残したい」と願う。

現在、一帯に残るのは3階建てが6棟、5階建てが1棟。郷土史に詳しい町教委教育課長補佐の秋山英雄さん(57)は「それぞれ築100年前後が経過している。狭い範囲にこれだけ古い木造高層の建物が全国でも珍しい」と言う。3棟が住居に使われ、ほかは空き家や倉庫になっている。

秋山さんによると、木江港が発展したのは明治期から。北九州の石炭を関西に運ぶ帆船の多くが立ち寄り、大正期にかけて造船業も盛んになった。それを受けて旅館や飲食店、遊郭が相次いで開業し、歓楽街を形成した。

海と山に挟まれて平地の少ない地形で、客を迎えるのに適した高層の木造建築が好んで建てられたという。詳細な記録はないが、港の南北約700メートルの範囲に15棟ほどがあったと考えられている。

戦後、潮待ちする船は減り、歓楽街の賑わいも失われていった。建物は住宅などに転用されたが、老朽化や住民の高齢化で解体される例も続いた。

同町出身の作家穂高健一さん(76)=東京都=は、木江の歓楽街を題材にした小説集を2018年に刊行した。日本が戦争を重ねた時代に遊郭が栄えたことに触れ、「戦争のしわ寄せが女性に向いた」と語る。悲史も含めて歴史を語り継ぐ意義を説き、「建物の保全を行政も支援してほしい」と願う。

今月上旬、秋山さんは木江港近くの路地に立っていた。3階建てが近接して3棟並び、昼間でも深い陰影と風情のあった一角。それが、ここ2年間に3階建て1棟を含む三つの建物が相次ぎ解体され、残る建物も老朽化が進む。「若者による活用を促すなどして、将来につなげたい」と話している。

(中国新聞 2020.08.22



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木江の路地風景


木江のある大崎上島は架橋されておらず、訪ねるには船に依るほかない。そのため外来者はこの島を訪ねる明確な理由がある客に限られることもある意味路地風景そして木造多層階建て建築が残った要因ともいえるかもしれない。

私が最初にこの木江の集落を訪ねた時は相当な衝撃を受けた。一般的な認知度がほぼ零だったこともあるだろう。あれから20年近く、随分光がよく差し込むようになったとはいえ、まだまだこの記事に説明されるような濃厚な路地風景が残っているといえる。

これ以上歴史を語るものとしての建物・町並を失わせたくないならば、もはや外部から別の血を入れて再生させるという方法しかないようにも思える。私個人的にはそれはちょっと違うと思ってしまう。いずれにせよ難しい問題ではある。


by mago_emon2 | 2020-08-23 21:29 | 古い町並 | Comments(0)  

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