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玖波 宿場町 沖に埋立地

大竹市玖波は、江戸時代から続く宿場町として知られる。参勤交代が制度化されて以降、諸大名や幕府の役人が宿泊した本陣が、旧西国街道沿いに置かれた。幕末の長州の役で町並みのほとんどは焼失したが、明治以降の再建で白壁に「うだつ」のある家も残る。
明治初期から干拓が始まった明治新開は、台風や暴風雨で何度も決壊。1960年に現在の埋め立て地が完成した。翌年から企業を誘致し、現在は中国塗料や戸田工業(広島市南区)大竹事業所などが立地する。
江戸時代から続く木材商会長の小木林勲(しげのり)さん(69)は学生だった昭和30年代を振り返り「通りには人の姿と声があった。夏休みに横浜の友人を連れて帰省したら、玖波駅から自宅に着くまで、通りの全員が『お帰り』とあいさつをするので驚いていた」と懐かしむ。
【「中国新聞」2014.08.26】

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この記事は大竹市の市制施行60年を記念した連載された記事の一つである。
現在、幹線交通は山陽自動車道、山陽新幹線に移り、都市間移送も海岸沿いに建設された国道2号線を経由するため、地元の人以外、旧山陽道を意識することはまずありえない。
ここにはしぶとくも辛うじて古い町並といえる家屋群が残っており、多少地元は意識されているようではあるが、今後も旧宿場町としての歴史を感じさせる町並が残り続けるかどうかは、甚だ心許ないものがある。
こうしたささやかな新聞記事がきっかけとなってくれればと思う。

by mago_emon2 | 2014-08-31 22:04 | 古い町並  

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