【雑記】横綱の品格

私は祖父が大の相撲好きだったこともあり、子供の頃から大相撲中継をよく見ていた。社会人となって以降はたまにしか見る機会がないが、それでもネットで取組の結果をチェックしたり、新聞の相撲の記事に眼を通すことは欠かせない。

なぜ相撲のことを書きたくなったかというと、横綱の日馬富士関が、先の取組で立合いに大きく変ったことで非難を浴びたという記事を見たからである。

もちろん立合いに身を交わし、相手の出鼻をくじきまたはそこで一気に突き落としやはたき込みに持ち込んで一瞬で勝負を決めることはよくあることであり、勝負が全ての現場ではむろん反則ではない。しかしそれを横綱がやることは、タブーであることが暗黙の了解になっている。
かつての名横綱千代の富士、さらに遡って北の湖、輪島など私の記憶に残る歴代の横綱は、格下の相手に受けて立つという言葉そのままの土俵さばきであった。相手の挑戦を正面から受け、抜群の安定感で下していく。少し時代が下って貴乃花関などは、寄り切った瞬間力を抜くこともしていた。

これは横綱に対してだけではないが、力士は土俵上で感情を表にしてはいけないというのが相撲道の伝統であり美学である。ガッツポーズなどすると即座に批判の的にもなる。
特に横綱は、温厚でかつ力強い父親のようなイメージでないといけないのである。受けて立つ身である者が相手を交わして立ち、意表をついて勝利を手にするのはやはり邪道だろう。

今や時代遅れという部分かも知れないし、それが若者に受け入れがたく外国人力士だらけになった大相撲だが、そういう精神的伝統は相撲だけが持つ独特のものだ。その精神はずっと貫き続けてほしいものである。
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by mago_emon2 | 2014-03-15 21:21 | 雑記 | Comments(0)  

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