「百年企業」~老舗に学ぶ-66-

「月山」の銘柄で知られる吉田酒造は、月山富田城のあった安来市広瀬町広瀬に蔵を構え、「品質第一」をモットーに、良質な米と水で仕込む大吟醸など25種類を販売する。全国酒類新酒品評会では、5年連続を含む通算14回の金賞を受賞。海外輸出や夏専用酒の販売などを新たな取組を展開し、のれんを守る。
創業は江戸中期の1743(寛保3)年。鈴木家が「安屋」の屋号で広瀬藩から醸造許可を受け、1826(文政9)年に藩の御用酒屋になった。明治に入ると、安屋の番頭だった吉田家2代の清兵衛さんが、安屋から酒造業免許を譲り受けて同社初代となった。
(中略)90年代は、日本酒離れと規制緩和の影響もあり、小売店が減少。売り上げは(75年頃に比べ)3割落ちた。
その中でも、93年頃から東京で地酒ブームが起き、デパートが地酒を扱い始めた頃から東京の問屋との取引を開始。純米酒など特定名称酒が売れ、全体の販売量は約1割増加した。
さらに、日本酒輸出協会役員だった松江市の蔵元の紹介で98年、同協会に加盟すると、米国や香港、シンガポールへ純米酒などを200リットル輸出した。現在、韓国や中国、台湾を加えて輸出量は計6000リットルに拡大し、屋体骨に成長した。
(後略)

(「山陰中央新報」8月7日)

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広瀬の吉田酒造(2003年撮影)


古い町並も残る広瀬の町の中心に存在感を示すこの酒造家は、山間部の小さな町の割には構えが大きく、古くから繁盛を続けておられる様子がうかがえた。しかしそれはこの記事のように都市部への売り込みや海外に販路を拡げることにより実現したものだ。
私の住む町にもかつて小さな造り酒屋があった。子供のころ祖父に連れられてその酒造家の脇を通ると、なんともいえぬ香りが漂っていて、子供心にここでは大人の嗜む酒というものが造られていることは察していた。
早い時期に廃業され、現在は土蔵一棟にその残り香があるのみだが、こうした例は無数にあり、日本酒離れの時期に従前の販売方法を取りつづけた零細な業者は軒並その活力を失い、多くの銘柄が消えていった。私は日本酒が格別に好きという訳ではないのだが、それでも各地に出掛けると当地でしか手に入りづらい銘柄の酒を時折求める。その楽しみが旅人から減っていくことは、そのまま旅情が薄れることにつながるのではないかと。この記事を読んで思ったことである。
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by mago_emon2 | 2013-08-07 22:59 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

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