【雑記】熱かったかつてのプロ野球
私は足繁く球場に足を運んではいないので、そのようなトラブルを実際眼にしたことはないが、テレビ観戦の中で今でも印象に残っているシーンは幾つかある。
1987年5月2日の広島-中日戦
中日攻撃時、中尾孝義選手が本塁生還の際に達川光男捕手のタッチが顔面に入ったことで流血する騒ぎになったことが伏線となった。川又米利選手が盗塁を試み、二塁手正田耕三選手のタッチがみぞおちに入ったことに激怒した川又と正田が小競合いとなり、その後両軍選手が殺到し乱闘劇となった。この時、真っ先にベンチを飛び出したのが就任一年目の中日星野仙一監督で、意外なことに現役時代を含めて初の退場処分を受けた。
1994年5月1日のヤクルト-読売戦
試合序盤にヤクルト西村龍次投手の村田真一捕手への頭部死球により、村田が負傷退場となったことが伏線となり、読売の先発・木田優夫投手がバッターボックスの最後部に立つ西村の腰あたりに直球での死球を与える。その後ヤクルトがリードを広げ、7回表に西村がグラッデン選手の顔近くに投球したことによりグラッデンが激怒、死球合戦ともいえる異様な雰囲気もあり両軍入り乱れての大乱闘となった。グラッデンとヤクルトの捕手中西親志選手はこの乱闘で負傷し、その後の野球人生を棒に振ることになった。
さすがにこの一連の騒動はもはや野球でない部分がある醜いものとの認識を抱いた。
1996年5月1日の中日-読売戦
5回裏、読売の先発・ガルベス投手の山崎武司選手への投球が頭部付近を通過したことにより山崎が激怒、マウンドに詰め寄り両軍ベンチ総出の大乱闘に発展した。両選手の退場処分に長嶋茂雄監督が不服を示し、32分もの中断後提訴試合により試合を再開するという異様な試合となった。
最近は危険球に対する罰則も強化され、このような乱闘騒ぎが起こることは滅多になくなったが、当時のこのようなシーンは選手たちの熱い気持が直に伝わってくるものである。それを懐かしむのも不謹慎であろうが、最近の試合にちょっと物足りない思いを抱いてしまう。
山崎選手が今日44歳にして、引退を決意したというニュースを聞いて、当時の乱闘劇を思い出し、これを書く気になった。熱い選手であったが、野球のことファンのことを一番に思う良い選手であった。
by mago_emon2 | 2013-07-30 00:10 | 雑記