鞆の保存計画策定へ

福山市教委が、歴史的な町並みが残る同市鞆町の伝統的建造物保存地区(伝建地区)の保存計画策定に着手する方針を固めたことが10日、分かった。国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)選定の申し出に必要な計画で、早期選定を目指すとみられる。
伝建地区は8.6ヘクタールで、昭和初期以前に建てられた伝統的建造物が約300棟あり、うち約200棟は江戸・明治期の建築。老朽化が進む中、市は計画策定に踏み切るとみられる。
保存計画では、町並み保存のための基本的な方針を示し、伝統的建造物を特定。保存整備の方法や、所有者が行う建物修理への助成などを定める。計画ができると、伝統的建造物を回収する際に使う屋根や壁の材料などの基準が、より明確になる見通し。
市教委は本年度内にも市伝建地区保存審議会に、保存計画を諮問。文化庁や広島県教委の指導・助言も受けながら、夏までには計画の告示を目指す方向という。
市は2008年3月、伝建地区の都市計画決定と同時に、建物に影響を与えかねないとして、地区内で予定されていた県道拡幅計画の廃止に同意。交通対策の鞆港埋め立て・架橋の推進と、重伝建選定を目指してきた経緯がある。県が12年に架橋計画の撤回を表明した後は、市は重伝建選定を急ぐとする一方、住民の意向を慎重に判断する姿勢を見せ、計画策定は進めていなかった。
【中国新聞 2017.02.11】

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鞆の町並の重伝建保存地区への動きは、40年近く前、重伝建制度が始まった頃にまで遡る。それを妨げていたのが架橋計画。建造物の保存を目指す地区に、それを壊す計画(架橋以外に現況道路の拡幅案があった)があっては矛盾するという理由である。
架橋計画の撤回後、一気にその動きが高まるものと見ていたのだが、何故だかそれ以後重伝建への動きのみならず様々な動きが停滞しているように感じていた。
選定には住民の意識の高まりももちろん必要だが、自治体の動きも欠かせない。その両方が揃わないと進めない。
これまで市が細々ながらも伝統的建物の維持保存を行ってきたが、町並全体としての保存は、もう待ったなしの状況に差し掛かっている。
近いうちに選定されるものとの安心感を得るにはまだ早いが、かなり前進しているというのは間違いなかろう。
続報を期待したい。


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# by mago_emon2 | 2017-02-11 21:56 | 鞆の架橋計画と町並保存 | Comments(0)  

宮島 町並み保存へ助言役

世界遺産の島・宮島(廿日市市)の町並み保存を加速させようと、市は広島工業大の森保洋之名誉教授(72)を宮島まちなみ・まちづくりアドバイザーに任命した。島中心部で国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)選定を目指す中、宮島の町家にも精通する建築計画の専門知識を施策に活用していく。
森保氏は1月から週一回登庁。建築指導課の机に着いて職員の相談に応じ、会議への出席も重ねる。今月2日には、関係職員14人を集めた勉強会を開催。町並み保存の対象地域にある建物の修理基準などを定めるガイドラインの必要性を説き、学識者や先進地の住民など助言を求める人材を紹介した。
森保氏は、広工大が宮島に構える学習センター「宮島こもん」の世話人などを歴任。島内のまちづくりや景観に詳しく、住民とも率直な意見交換ができる関係を築いている。宮島の町並みの魅力を「質素で落着いたたたずまい」と指摘し、「町家を良い形で修理し保存していけるようにアドバイスしていきたい」と話す。
市は、江戸期からの民家が点在する町家通り一帯など約18ヘクタールの重伝建選定に向けた条例を2015年に制定。担当職員を宮島に常駐させるなど取り組みを進めている。市建設部の向井敏美・都市建築担当部長は「宮島に詳しい専門家が身内になった。遠慮なく助言を求め、良いまちづくりを進めたい」としている。
【中国新聞 2017.02.07】

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宮島の町並保存に関しては、今からほぼ1年前にもその動きを伝える記事があった。大学教授などの学識者の視察などが行われたという内容だった。
http://machiissue.exblog.jp/22881128/
外部による調査段階だった昨年に対し、今回は具体的な保存の実務に関する人事に関してだ。選定後をにらんでの動きだろう。
実際町家通りを中心として、重伝建地区に匹敵する古い町並が保持されているが、観光客に認知されているとは言いがたい。団体客の往来の多い地区と同じような賑わいなる必要は無いが、その貴重さを理解していただける個人客を中心にもう少し知られるところとなってほしいものだ。



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# by mago_emon2 | 2017-02-08 21:35 | 古い町並 | Comments(0)  

廉塾 19年度から整備


江戸期の儒学者菅茶山が福山市神辺町に開いた廉塾と、茶山の旧宅の保存活用計画案を、同市教委が1日、示した。国の特別史跡で、江戸中後期の教育環境を伝える希少な史跡として、当時を追体験できる空間づくりや、周辺の文化財と連携した活用を進める。2019年度から5年間で整備をする方針。
市内であった策定委員会の最終会合で説明した。計画案によると、史跡内を建造物、菜園、緑地の3エリアに分けて保存。現存する講堂や寮舎、米蔵などは、傷みが目立つ床や壁、屋根を修復する。史跡内には説明板やベンチを設け、情報通信技術(ICT)を使った案内も検討する。
近くの県史跡・神辺本陣跡や茶山の墓の保存にも取り組み、近世山陽道の町並みと合わせて活用する。整備には、今後実施する発掘調査の結果も反映させる。付近にあり、茶山が初めに開いたとされる別の私塾跡などの追加指定も検討する。
ほかに計画案は、所有者が担っている史跡の管理について、将来的に市が担う検討も必要とした。
委員の一人で、住民たちでつくる菅茶山顕彰会の鵜野謙二会長(77)は取材に、「保存活用を通じて史跡の価値を高め、地域の魅力の発信につなげてほしい」と話した。
広島県内の国特別史跡は廉塾と厳島(廿日市市)だけ。福山市が17年度の申請を目指す日本遺産のストーリーづくりの中心的役割が期待されている。
【中国新聞 2017.02.02】

d0328255_00073219.jpg廉塾の講堂(上)と旧神辺本陣













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神辺のこの周辺は旧山陽道沿いに面し、例年秋に街道沿いでイベントが開催される。このときには廉塾と旧本陣の建物内が公開される。
一昨年私もこのイベントを訪ねたが、両建物ともかなり痛んでいるのが気になった。
方針というのだからまだ決定ではないのだろうが、一旦公言した限りは必ず実行して貰いたいものだ。
この二つの建物の存在は山陽道沿いの古い町並を訪ねるにあたっても、その価値がとても大きいものだ。
できることなら、健全な姿で常時公開されることを望む。


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# by mago_emon2 | 2017-02-04 00:17 | 伝統的建造物 | Comments(0)  

被服支廠の保存活用検討

広島市内で最大級の被爆建物、旧陸軍被服支廠(ししょう、南区)について、現存する4棟のうち3棟を所有する広島県が、活用の検討のため、耐震性や補強方法を調査する方針であることが10日、分かった。2017年度当初予算に関連費2200万円を計上する見通し。部分保存なども含め、今後の在り方を幅広く探るための基礎資料とする考えだ。

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被服支廠は、県が06年9月にロシアのエルミタージュ美術館の分館誘致構想を見送って以降、具体的な保存・活用策の検討が進んでいなかった。最大のネックは耐震化費用。1996年の調査では1棟当たり21億円と試算していた。ただ、複数の関係者によると、技術の進歩などで、より安価に強度を高められる可能性が出てきたという。
被服支廠は、45年8月6日に投下された原爆の爆心地から南東約2.7キロ。爆風でゆがんだ鉄製の扉など被爆の爪痕が残る。建物内は被爆者の救護所にもなった。今回の調査は、最も爆心地に近い県保有の1棟を対象に、コンクリート製の柱や鉄筋の劣化度をチェックし、状態を詳細に把握。耐震診断をし、補強方法などを検討する計画でいる。
近年は修学旅行の平和学習の行程に組み込まれるケースも増え、15年度は敷地内の見学者数が過去最高の848人に上った。
市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」代表で、建物内で被爆者の救護に当たった中西巌さん(86)=呉市=は「被爆の『生き証人』として原爆の参加を伝えており、活用に向け一歩前進だ」と歓迎。「被爆者が亡くなる中、その価値は増している。具体的な活用の弾みにしてほしい」と期待している。
【中国新聞 2017.01.11】

旧陸軍被服支廠については、昨年も11月に敷地内が公開され、内部の見学ツアーも行われた。修学旅行で訪れる生徒もいるとは私は知らず驚いた。それだけ価値のある建物ということでもある。
表面は煉瓦で覆われているが躯体そのものはRC造りで、建築当時としては非常に先進的なものだったというが、近年は有効な利用もされず長らく放置され続けていたこともあって、さすがに経年劣化は否めないところだろう。
どの程度強度の低下が生じているのか、コンクリート構造物としての問題があるのかといった具体的な調査に踏み切るということで、ようやく保存活用に向けて軌道に乗りつつあるといったところだろう。
今後の動きに注視したいところだ。


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# by mago_emon2 | 2017-01-11 22:32 | 伝統的建造物 | Comments(0)  

鞆町発信拠点整備へ

福山市は鞆町で、歴史的な町並み保存の拠点施設にするために購入した、古い商家の再生を本格化させる。近く、敷地内で倒壊の危険のある土蔵などの解体に着手する。策定中のまちづくりビジョンとも整合を図りながら、本年度中にも活用策の議論を始める見通し。
国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)を目指す市の伝建地区(約8.6ヘクタール)の中央部にある。木造2階建ての主屋(延べ214平方メートル)は明治期に建てられ、現存例が少ない跳ね上げ式の板戸「ブチョウ」が残る。市は保存対象の主屋の修理に先駆け、来年3月までに土蔵や戦後に建築した工場など計4棟を解体・一部解体する。11月、約990万円で発注した。
市が施設を購入したのは2011年度。12年度に応急処置をして以降、国の補助を受けられる重伝建選定をにらみ、整備を見送ってきた。だが、建物の老朽化が進む状況を踏まえ、本年度当初予算に解体費と、施設の基本・実施設計費(2200万円)を計上した。
市は、町並み保存に関わる情報提供や観光案内の拠点として活用を想定。11月末、ビジョン策定に向け開いた住民意見発表会では、修理修繕の相談窓口や、祭りで引き回す布団だんじり「チョウサイ」の保管展示などのアイデアが出た。
市文化課は「ビジョン策定状況を踏まえ、活用策を練る」とする。市は15年度から、町並みの保存を進めるため、伝建地区内の歴史的な町家の修理の補助率を高めている。
【中国新聞 2016.12.15】

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市が町並保存の拠点にするために旧家を購入していた件は知っていたが、具体的な活用の話が聞こえてこなかった。この記事を読むと、重伝建地区となることを前提にしていたことがわかる。
なかなかそれが叶わないので、しびれを切らして手を打たざるを得ない状況になったのか。
それにしても、鞆の重伝建地区選定を妨げているものは何なのか、詳しく知りたいものである。


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# by mago_emon2 | 2016-12-15 23:09 | 鞆の架橋計画と町並保存 | Comments(0)  

「観光維新」の志士・・着物、レンタルに活路

「古地図がそのまま使えるまち」が萩の城下町の売り物。だが、かつて賑わった商店街は空き店舗だらけ。アーケードを抜けた辺りから広がる城下町も無人の古民家・廃屋が多く、名所旧跡の所在が思い出せない。
9月中旬、立寄った呉服店の店主が「まあ、お茶でも」と迎えてくれた。「商店街も寂れました」と語る一方、10月の週末には4千本の竹筒の灯籠で夜の城下町を彩る「竹灯路物語」や、着物で城下町を歩く「着物ウィーク」、その後も「萩ふるさとまつり」など催しが目白押しという。「変わったそばでも食べますか?」。温かいせいろは絶品だった。人情が厚く、宝の山だ。このまま衰退する街ではあるまい。
武家屋敷や豪商の旧家が残る城下町で、何度か立ち寄ったのが「キモノスタイルカフェ」。武家屋敷を改造した店で、向いは木戸孝允(桂小五郎)旧宅跡。岡田窯の新鋭作家、岡田泰さん(40)に特注した萩焼のカップでコーヒーを飲んでいる傍らには、店内で和服に着替え、観光に出かける女性グループやカップル、ちょんまげ頭に刀差しの侍に扮した男性の姿がある。ここを営むのがキモノレゾンデートル社長の関伸久さん(43)だ。
経歴が面白い。呉服店に生まれ、萩高を卒業後、「いずれUターンして起業したい」と、着物と縁の深い京都の大学だけを受験し、立命館大学経営学部へ進んだ。フランス留学の経験もある。フランスの友人が来日した際、土産に着物の婚礼衣装を贈ったが、後日、その友人宅を訪問すると、天井から着物が芸術品のように飾られていた。それが着物のレゾンデートル(仏語で「存在価値」)を再認識した瞬間という。
卒業後は大手銀行に就職し、「多くの中堅・零細企業の社長に会って徹底的に経営を学びました」。そして「不況時こそ企業のチャンス」と考えた。上司も理解してくれた。2008年9月のリーマン・ショックを機に、13年間勤務した銀行を09年2月に退社し、Uターンする。
読みは的中し、不況下だからこそ萩の観光地の真ん中に絶好の物件を見つけた。ビジネスの主軸は「プロ・アマの差が大きい呉服」に決めたが、商売の難しさは熟知している。そこで当時は珍しかった和風の高級カフェで、萩名物の夏ミカンジュースなどのメニューを萩焼の器で提供するカフェ事業で基盤を固めた。
(中略)本命の呉服は、婚礼では当たり前の「着物レンタル」。京都のようにリピーターが望めないへき地の城下町観光を、レンタル着物で楽しんでもらう「コト消費」ビジネスだ。料金も格安な4千円以下に設定し、並行して、送料無料(遠隔地を除く)の着物レンタル通販も始めた。
JR西日本は来年1月29日、山陰本線の新下関-仙崎(長門市)間で運行してきた「みすゞ潮彩」を廃止。「幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン」の一つとして、同9月から新下関ー萩駅間で新観光列車を走らせる予定だ。萩では2年後の明治維新150周年に向け、来年3月に毛利藩の藩校「明倫館」跡地を一大観光拠点にするなど幾つかの大型プロジェクトを胎動する。「その先をも見据えた面白いことを仕掛けたい」と語る関さんは、「観光維新」の志士だろう。
【日本経済新聞 2016.12.10】

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萩の町並 上:武家地区, 下:商家地区

萩を訪ねた観光客の感想として、「思ったより古い建物が少ない」というのが少なくないと聞く。実際は多くあるのだが、観光客が主に訪れるのは萩城城下町と称された菊屋家を中心とした一角、周辺の松陰神社などの史跡くらいなので、そのような印象になるのは無理ないだろう。
私は、萩の良さを感じるには、ツアーなどで訪ねるのではなく、個人でそして時間をかけることをお勧めしたいところだ。出来れば泊る方が良い。それでも時間がないというのであれば、例えばこの記事にある着物レンタルなどでその気になってみるのも一つあるかもしれない。
この関氏のような地域に根ざし、創意工夫の観光ビジネスは大いに価値あるもので、私は利用することがなさそうではあるが応援はしたいものだ。


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# by mago_emon2 | 2016-12-11 17:08 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

鞆まちづくり 提案多彩

福山市鞆町の住民たちがまちづくりについて提案する意見発表会が26日、同町の鞆公民館であった。同町のまちづくりビジョン策定のための住民ワークショップ(WS)の一環で、小中学生を含む12組が発表した。
鞆中3年岡本結花さん(15)は、同中生徒で将来も鞆に住みたいのは1割にも満たない半面、約9割が鞆が好きというアンケート結果を紹介。「若者も町の伝統を引き継ぎたいと思っている。頼ってほしい」と呼びかけた。
空き家増加を課題として挙げる発表が目立った。鷲野太平さん(23)は、鞆町西部の平地区に地域密着型の宿泊施設の導入を提案。「観光客と住民をつなぐたまり場になれば、ファンが増える。空き家紹介の窓口にもなれる」と発表した。
住民たち106人が参加。他に、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の選定を急ぐべきだ/住民同士で支え合う鞆での暮らし体験が移住につながる―などの提案があった。次回のWSは来年1月に開く予定。
【中国新聞 2016.11.27】

以前記事内で見たワークショップは定期的に開催されているようだ。地味ながら、この動きが特に町並保存に向けて大きな舵を切るきっかけになることを期待する。
昨日、県の東部に住まわれ鞆の事情にも精通されているある方と話をする機会があったが、地元の方は景観保存、町並保存よりやはり鞆の現状の大きな課題である道路事情などに関心が高いと。
既に多くの観光客があり知名度も得ているから、改築への補助がありながら縛りもある重伝建選定については、二の次のことなのだろうか。
橋梁計画没後のトンネル案も、クリアーしなくてはならない課題が多く計画が進んでいないそうで、町並共々遅々として進まぬというのが実情だ。このワークショップの積み重ねが、果たしてそれを後押しするものになるだろうか。


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# by mago_emon2 | 2016-11-28 23:00 | 鞆の架橋計画と町並保存 | Comments(0)  

被服支廠 活用策探る

広島市内で最大の被爆建物、旧陸軍被服支廠(ししょう,南区出汐)の見学会と、保存・活用の可能性を考えるイベントが20日、市内であった。国内最古級のコンクリート構造を体感できる支廠内部を市民に開放。続くシンポジウムで、建築の専門家たちの視点から再生の手法を探った。
建築物の魅力を発信する市民団体「アーキウォーク広島」(中区)の主催。内部見学会は、19日と合わせて計約120人が、現存する4棟のうち2号館の1~3階を巡った。高田真代表が「レトロなれんがとモダンなコンクリートが混在する貴重な建築」と説明し、コンクリートの柱やはりを見てまわった。
続けて中区の県美術館講堂で開いたシンポでは高田代表と建築の専門家2人が保存、活用に向けて意見を交わした。広島大大学院の大久保孝昭教授は2014年10月に実施したコンクリートの劣化度調査を踏まえ、「劣化は進んでいるが、技術的に改修は可能。何に使うかが決まれば補強の方法はいくらでもある」と強調した。
横浜市の「横浜赤レンガ倉庫」の再生に携わった東京電機大の今川憲英教授は「民間と行政が一体で取り組むべきだ」と指摘した。
被覆支廠は爆心地の南東2.7キロに位置し、1913年の完成。旧陸軍の軍服や軍靴を作っていた。多額の耐震化費用がネックとなり、所有する県と国は活用策を描けていない。
【中国新聞 2016.11.21】

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旧陸軍被服支廠

この旧被服支廠の建物は表通りからは見えづらく、路地に長々と連なる姿を見て驚く人も多いだろう。
今回、私も期間中に訪ねた。建物内は希望者多数で見学は叶わなかったが、普段は敷地内に入ることも出来ないため、私は今回初めて正面から建物群を見ることが出来た。
戦後は企業の倉庫、寮などとして利用された時期もあったというが、長年活用されず傷みも増している。
この建物は被爆建築というだけでなく、建造された大正初期としては珍しいRC構造であることでも貴重なものといえる。
失ってから後悔しても遅い。
ただ建物の規模が大きい事もあり、補修・補強費、維持費もかさんでしまうのは事実。しかし、その価値のある建物といえる。


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# by mago_emon2 | 2016-11-21 22:14 | 伝統的建造物 | Comments(0)