【旧雑記帳No.12】イギリス 日本(2008.05.20)

今日仕事中に、不意に子供の頃に聞いた童謡?のレコードを思い出した。
イギリス イギリスという歌詞から始まって、その後日本、上海、四国など次々と国名地名が継ぎ足され最後に東京で終るというものである。
久々に思い起してみると30年近くも聞いていないのにその順番は克明に覚えていて、途中には豪州や名古屋、ハワユ(ハワイ)、九州などが挟まっていた。横文字国名もあれば日本の都市や地方も混じり全く統一性のない無意味な地名の羅列だが、当時聴いた小気味よいメロディーも明確に再現できる。
仕事に疲れているのか、不意に思い起こすと気になってしょうがない。ネットで調べるとどうやら子供の遊びの歌らしく、地方によっても少し内容が違うようである。
http://dep.wink.ac/friend/igiris.htm 
ここで紹介されているのはほぼ私がレコードで聴いたものと一致しているが、ハワユの代りに八幡が入っている。
これは多分、じゃんけんの時の子供の掛け声のように地方に寄って同音異曲に広まっていたものなのだろう。
私はこれを実際遊びの場で使ったことはない。私より年長の方々はよく知っているかもしれない。
そんなことを今日は考えていた。

イギリス        イギリス
日本 ニッポン    イギリス ニッポン
上海 シャンハイ   イギリス ニッポン シャンハイ
四国 シコク      イギリス ニッポン シャンハイ シコク 
豪州 ゴウシュ    イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ  
武蔵 ムサシ  イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ 

名古屋 ナゴヤ   イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ
八幡 ヤハタ     イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ ヤハタ
九州 キュウシュウ イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ ヤハタ キュウシュウ
東京 トウキョウ   イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ ヤハタ キュウシュウ  トウキョウ

(原文そのまま、後半の歌詞は文中のサイトから引用)
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# by mago_emon2 | 2013-08-09 23:07 | 雑記 | Comments(0)  

「百年企業」~老舗に学ぶ-66-

「月山」の銘柄で知られる吉田酒造は、月山富田城のあった安来市広瀬町広瀬に蔵を構え、「品質第一」をモットーに、良質な米と水で仕込む大吟醸など25種類を販売する。全国酒類新酒品評会では、5年連続を含む通算14回の金賞を受賞。海外輸出や夏専用酒の販売などを新たな取組を展開し、のれんを守る。
創業は江戸中期の1743(寛保3)年。鈴木家が「安屋」の屋号で広瀬藩から醸造許可を受け、1826(文政9)年に藩の御用酒屋になった。明治に入ると、安屋の番頭だった吉田家2代の清兵衛さんが、安屋から酒造業免許を譲り受けて同社初代となった。
(中略)90年代は、日本酒離れと規制緩和の影響もあり、小売店が減少。売り上げは(75年頃に比べ)3割落ちた。
その中でも、93年頃から東京で地酒ブームが起き、デパートが地酒を扱い始めた頃から東京の問屋との取引を開始。純米酒など特定名称酒が売れ、全体の販売量は約1割増加した。
さらに、日本酒輸出協会役員だった松江市の蔵元の紹介で98年、同協会に加盟すると、米国や香港、シンガポールへ純米酒などを200リットル輸出した。現在、韓国や中国、台湾を加えて輸出量は計6000リットルに拡大し、屋体骨に成長した。
(後略)

(「山陰中央新報」8月7日)

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広瀬の吉田酒造(2003年撮影)


古い町並も残る広瀬の町の中心に存在感を示すこの酒造家は、山間部の小さな町の割には構えが大きく、古くから繁盛を続けておられる様子がうかがえた。しかしそれはこの記事のように都市部への売り込みや海外に販路を拡げることにより実現したものだ。
私の住む町にもかつて小さな造り酒屋があった。子供のころ祖父に連れられてその酒造家の脇を通ると、なんともいえぬ香りが漂っていて、子供心にここでは大人の嗜む酒というものが造られていることは察していた。
早い時期に廃業され、現在は土蔵一棟にその残り香があるのみだが、こうした例は無数にあり、日本酒離れの時期に従前の販売方法を取りつづけた零細な業者は軒並その活力を失い、多くの銘柄が消えていった。私は日本酒が格別に好きという訳ではないのだが、それでも各地に出掛けると当地でしか手に入りづらい銘柄の酒を時折求める。その楽しみが旅人から減っていくことは、そのまま旅情が薄れることにつながるのではないかと。この記事を読んで思ったことである。
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# by mago_emon2 | 2013-08-07 22:59 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

【雑記】熱かったかつてのプロ野球

90年代頃までのプロ野球では、よく小競合いや乱闘の場面が良く見られた。真剣勝負をしている以上、そのような衝突が起きるのはある程度は避けられないものであり、観客の一部もそれを容認する向きがあった。
私は足繁く球場に足を運んではいないので、そのようなトラブルを実際眼にしたことはないが、テレビ観戦の中で今でも印象に残っているシーンは幾つかある。

1987年5月2日の広島-中日戦
中日攻撃時、中尾孝義選手が本塁生還の際に達川光男捕手のタッチが顔面に入ったことで流血する騒ぎになったことが伏線となった。川又米利選手が盗塁を試み、二塁手正田耕三選手のタッチがみぞおちに入ったことに激怒した川又と正田が小競合いとなり、その後両軍選手が殺到し乱闘劇となった。この時、真っ先にベンチを飛び出したのが就任一年目の中日星野仙一監督で、意外なことに現役時代を含めて初の退場処分を受けた。

1994年5月1日のヤクルト-読売戦
試合序盤にヤクルト西村龍次投手の村田真一捕手への頭部死球により、村田が負傷退場となったことが伏線となり、読売の先発・木田優夫投手がバッターボックスの最後部に立つ西村の腰あたりに直球での死球を与える。その後ヤクルトがリードを広げ、7回表に西村がグラッデン選手の顔近くに投球したことによりグラッデンが激怒、死球合戦ともいえる異様な雰囲気もあり両軍入り乱れての大乱闘となった。グラッデンとヤクルトの捕手中西親志選手はこの乱闘で負傷し、その後の野球人生を棒に振ることになった。
さすがにこの一連の騒動はもはや野球でない部分がある醜いものとの認識を抱いた。

1996年5月1日の中日-読売戦
5回裏、読売の先発・ガルベス投手の山崎武司選手への投球が頭部付近を通過したことにより山崎が激怒、マウンドに詰め寄り両軍ベンチ総出の大乱闘に発展した。両選手の退場処分に長嶋茂雄監督が不服を示し、32分もの中断後提訴試合により試合を再開するという異様な試合となった。

最近は危険球に対する罰則も強化され、このような乱闘騒ぎが起こることは滅多になくなったが、当時のこのようなシーンは選手たちの熱い気持が直に伝わってくるものである。それを懐かしむのも不謹慎であろうが、最近の試合にちょっと物足りない思いを抱いてしまう。

山崎選手が今日44歳にして、引退を決意したというニュースを聞いて、当時の乱闘劇を思い出し、これを書く気になった。熱い選手であったが、野球のことファンのことを一番に思う良い選手であった。
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# by mago_emon2 | 2013-07-30 00:10 | 雑記 | Comments(5)  

可部の散策「もてなし隊」

広島市安佐北区可部地区に歴史散策で訪れる人のガイド役を務める住民グループ「可部夢街道もてなし隊」が発足した。見どころなどをまとめたハンドブックを作り、「隊員」に登録した住民が、地域の魅力を発信する。
可部のコミュニティーサロン可笑屋(かわらや)が来訪者の窓口となる。町案内の希望を電話で受けたスタッフが、全隊員に日程や散策場所などをメールで伝え、時間の都合のよい隊員が付き添う。
(「中国新聞」7月25日)

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可部は山陰方面とを結ぶ街道の要衝、河港として古い歴史を持ち、現在でも旧道沿いに伝統的な佇まいを残す。地元の方々はそれをよく認識されており、「可笑屋」を拠点に積極的な活動を行っている。年に一度開催される町歩きイベントをはじめ、定期的に町を舞台とした催し物が行われている。
私の個人的な探訪では、公開された旧家等で時折案内係の方の解説を受けることはあるが、町を歩くのにガイドを頼むことはまずない。しかし地元の方の生の案内・説明はどんな資料にも増して貴重なものだ。
何度も歩いている町ではあるが、機会があれば「もてなし隊」の案内で再訪してみたい。
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# by mago_emon2 | 2013-07-28 20:15 | 古い町並 | Comments(0)  

【旧雑記帳No.15】 銀河鉄道999 (2009.03.08)

私は子供の頃からTVアニメはほとんど見る事がなかった。小中学生頃は今とは違って数多くのアニメ番組があったが、ストーリーはもちろん、題名も印象に残っているものは少ない。
しかし例外があって、「銀河鉄道999」がその代表だ。未来の設定なのに、何故蒸気機関車なのか、そしてなぜそれが宇宙を旅するのか。子供心に汽車旅の極意のようなものを感じていたのだろう、その後鉄道旅行を頻繁にするようになったことは、自然のことのような気がする。
謎の美女メーテルに連れられて主人公の少年・星野鉄郎が数々の試練に堪えながら終着駅まで辿り着くその道程は現在の列車の旅では決して味わえないものであり、今思えば当時の私に旅の浪漫を存分に感じさせてくれたことだろう。
最近、懐かしさを感じ本屋の中古DVDコーナーで999を時々買って帰って見返している。心温かい少年星野鉄郎と旅の情けともいえるものが、30年近くも経った今見ると表現されているように思える。懐かしさも相俟って、時折涙ぐむようなこともある。
ヤフーのニュースで東京都の西武線の駅で999の「車掌さん」が名誉駅長となるといった記事を見て、これを書く気になった。

(原文そのまま)
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# by mago_emon2 | 2013-07-25 21:13 | 雑記 | Comments(0)  

中国地区から2つの重伝建地区

津和野町津和野伝統的建造物群保存地区(島根県津和野町)
津和野城下町に形成された武家町及び商家町。旧山陰道に沿って水路や土塀が続く武家町と、赤茶色の瓦を葺いた町家が連なる商家町の対比が特徴的。水路に鯉を放ち、花菖蒲が彩りを添える伝統的な町並みは、山陰の小京都として広く知られ、今回、改めて重要伝統的建造物群保存地区として保存を図る。

津山城東伝統的建造物群保存地区(岡山県津山市)
津山市は、岡山県の北東部に位置する。慶長8年(1603)に美作国に封ぜられた森忠政が津山城を築き、城下町を整備した。城の周囲に武家地、城下町の南半部を東西に通る出雲往来に沿って町人地が形成された。城の東を流れる宮川の東側にも城下町が形成され、出雲往来に沿った町人地が保存地区に当たる。地区の東部には、国指定史跡箕作阮甫旧宅がある。
(文化庁報道発表 2013.05.17)

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(津和野)
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(津山)

文化庁選定の重要伝統的建造物群保存地区は毎年数箇所追加され、今年も上記2箇所が新規に選定された。情報によると今秋宮城県村田町など数箇所が追加選定される可能性があるとのこと。
いつの間にか100箇所を超えている重伝建地区。最近になって選定されたところは私も完全には把握していない。
ただ一ついえることは、重伝建地区は市町村などの自治体からの申請に基づき選定(認定)するものなので、必ずしも景観的・文化的に秀逸な町並や建物が集積しているわけではない。重伝建地区でなくても重厚で歴史的価値のある町並は多数あり(例:奈良県御所市、名古屋市有松地区)、逆にここに挙げるのは気がひけるので差し控えるが、ここが重伝建?といったところもある。
もちろん選定を受けるということは、国にその歴史的構造的価値が認められているということだから、探訪に値するところであることは間違いない。これから古い町並を訪ねたいと思われる方には、まず重伝建地区から始めてみて欲しいとの思いは変わらない。

<関連サイト(外部サイト)>
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/hozonchiku.html (文化庁のページ)
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# by mago_emon2 | 2013-07-21 20:59 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

【旧雑記帳No.43,No.40(関連)】 応援したい人

また雑記だが、今回は応援したい二人の人について書きたい。

今年のプロ野球も日程の半ばに達した。目覚しい活躍をしている人も多く眼につくが、中でも注目しているのが菊池雄星投手だ。先日などあわやノーヒットノーランの投球を披露し、彼の実力がいよいよ本格的に発揮されたと確信した。
私は彼の所属する球団は正直好きではない。しかし今期の活躍に至る過程が彼に関心を抱く要素となっている。鳴り物入りで入団しながらその成績は今ひとつであった。そもそも高卒投手にいきなり好成績を求める自体に無理があることだが、その途中には球場外のスキャンダル的話題のみが先行したこともあった。注目度も年々低くなった。
彼が1年目から抜群の成績を挙げ続けていたならば、私は特に応援することはなかっただろう。その間には陰で相当な努力を続けていたに違いない。ようやく本領を遺憾なく現してきたことは痛快だ。
くどいようだが、所属する球団は好きではない。しかし彼だけは応援したい。

あともう一人。
昨日、松浦亜弥さんのライブイベントに参加してきた。彼女は10代の頃にはアイドルとして猛烈ともいえるメディアへの露出で、関心のない人でもその名前だけは知っている人も多いだろう。私もよく目にしてはいたが、既にそのような分野には興味なく、ましてや応援することもなかった。
その後露出が徐々に減っていったことで、半分忘れかけていたというのが正直なところである。
ところがある日、昔からのファンのあるアーティストさんの楽曲を動画サイトで聴き歩いていて、その寄り道で偶然彼女のライブ映像などの動画を見る機会があった。歌唱力・表現力が非常に高くかなりの衝撃で、何しろ歌謡界の数々の大御所からも高評価を得ているとのこと。彼女の動画に釘付けになってしまった。「大誤算」ともいえる思わぬ事態!
しかし、その能力がいよいよ発揮という段階になって、ある事情で活動を制約せざるを得なくなったことが残念で、結局彼女に対するイメージが以前のまま、世間一般にとどまっているというのがもどかしいところだ。
この数年は事実上活動を休んでいて、その歌う姿を見るにはファンクラブ会員限定のライブに参加することにほぼ限定されているような状態だったので、早速その手続きをとって参加したという次第。
魅力的な歌声を堪能させてもらった。
私は自分より若い世代の曲は一部を除いて余り聴くこともないのだが、良くわからないグループが横行する中で、彼女は例外中の例外と思う。
こういう人こそ注目されてほしい。





<関連サイト(外部サイト)>
http://daily-lions.com/2013/06/column20130622.php
https://www.youtube.com/watch?v=E4bIkCCDCAg&list=PL2C96025150B4E466
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# by mago_emon2 | 2013-07-16 00:05 | 雑記 | Comments(2)  

御手洗にレトロ休憩所

江戸時代の潮待ち港の風情が残る大崎下島の御手洗(呉市豊町)に10日、観光案内の御手洗休憩所がオープンした。国の重要伝統的建造物群保存地区の玄関口にあり、観光客の散策が便利になる。
休憩所は寄付を受けた古民家を改修した。木造平屋100平方メートル。レトロな外観が目を引く。
豊町観光協会のスタッフが常駐し地区の見どころなどを紹介する。トイレや駐輪施設も設けた。
(中略)古民家は100年以上経過するが、建築年は不詳。痛みが激しいため補強工事を施し、総事業費は約2600万円となる。
(「中国新聞」7/11朝刊より)

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 御手洗を初めて訪ねたのは12年ほど前になるが、当時は伝統的な建物はほとんどそのままの状態で、壁の漆喰ははがれ、瓦がずれたままのものがあった。今にして思えばそれがなんともいえぬ風情をかもし出していたともいえるのだが、活気が見られない町並であった。
上の写真は2005年に撮影したもので、この間に随分整えられ、保存地区というに相応しい景観となった。余り整えすぎると博物館のようになってしまうのだが、ほどほどのいじり過ぎなさは好感が持てるものだ。
本州との間に架橋され乗用車でも訪ねられるようになってから、訪問者数は急増したが、一時の流れは少し落着いたかもしれない。伝統的建物を利用したこの案内所が、ささやかながら探訪の手助けになることを願いたい。

<関連サイト>
http://www.kyoshu-komichi.com/mitarai.html
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# by mago_emon2 | 2013-07-12 00:08 | 重伝建保存地区 | Comments(0)