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御手洗町並み魅力広がる


呉市豊町の御手洗地区に3月下旬、空き家を改築したゲストハウスと懐かしのおもちゃが並ぶ博物館が相次ぎオープンした。国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の町並みに新たな魅力が加わった。

ゲストハウス「旅籠屋 醫(くすし)」は、地区内でカフェや画廊を経営する企業が開いた。10年前まで診療所だった築100年を超える建物を改築。内装は、赤土の壁と内部からのぞく竹をあえて見せるなど、「建物の物語を感じられる演出」に工夫を凝らした。
2階に2段ベッドを6台並べたドミトリー式で、2人用の個室1室も備える。1泊3456~8640円。同地区には常時利用できる宿泊施設がほとんどないという。井上明代表(38)は、「島で見る朝日や満月の美しさは、泊まって初めて実感できる」と話す。
「旅籠屋 醫」の南西約100メートルには、木造2階建ての町家を改装した「御手洗昭和館」が開館した。近くにある大東寺の関藤一暁住職(54)が20年にわたって集めたおもちやや文具約5千点を並べた。木製の野球盤や世界初の無線操縦カー、江戸期の泥メンコなどの逸品もある。
ショーケースには地元の商店などが使っていたものなどを利用した。関藤さんは「江戸期からの町並みを求めてくる人々の郷愁をさらに呼び起こしたい」と話す。一般300円、小中学生200円。火曜日休館。
地区には年間5万人が訪れる。呉広域商工会などは町並みを丸ごと博物館と見立てた「ミュージアム構想」を掲げ、インバウンド(訪日観光客)を含めた誘客に取り組んでいる。
【中国新聞 2017.04.15】
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ゲストハウスとして整備される旧医院の建物

保存地区の大崎下島御手洗地区は確かに宿泊できる施設がなく、ほとんどの探訪客は日中の短時間の滞在で地区を去ってしまう。
しかも現在は橋により陸続きになっているとはいえ、袋小路の奥にある御手洗地区にはそれなりの動機がないと足を向けることはない。
町並の魅力を多くの人に知って貰うには、ある程度の集客対策も必要になるだろう。そんな中でこの「御手洗昭和館」はある一定の吸引効果があるだろうし、町並景観に与える影響も少ないので好例といえるし、私も次回機会があれば訪ねたい。
ただ、ミュージアム構想のもとに半ばテーマパーク状になることは避けなければならない。そのあたりのバランスは非常に難しいものだが、絶好の素材があるわけだから、それを最大限に生かしたものにしてほしいものだ。


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by mago_emon2 | 2017-04-16 20:36 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

白壁レストラン半年ぶり

昨年10月の地震で大きな被害の出た倉吉市の白壁土蔵群で、国登録有形文化財の建物を利用したレストラン「白壁倶楽部」が約半年ぶりに営業を再開した。伝統的建造物群保存地区のシンボル施設の再建に、地元関係者は「復興への弾みに」と期待を寄せている。

白壁倶楽部は1908年建設の旧国立第三銀行倉吉支店を活用し、同市の社会福祉法人「和(なごみ)」が2011年3月、障害者が働く福祉サービス事業所として開設した。土蔵造り2階建てに50席を設け、障害者6人と職員5人で運営。地元の食材を使ったランチやディナー、レトロな店内が特徴で、観光客や住民たち年間約2万人の利用があった。
昨年10月21日に同市で震度6弱を観測した地震により、内外壁が大規模に崩落したため、近くに仮店舗を設けて営業していた。県と連携する日本財団から約2100万円の補助を受け、12月から壁の修復や耐震化を進めていた。八渡和仁施設長は「被災した住民の励みになれば」と話している。
【中国新聞 2017.04.04】
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旧国立第三銀行倉吉支店(2009年撮影)


この旧銀行の建物は、倉吉の古い町並の中心からはやや離れているため一般の探索客は、もしかすると訪ね損ねている方もあるかもしれない。しかし、その歴史もともかく独特の外観もとても貴重なもので、レストランとして活用されているのも最近知ったことなのだが地震に耐え営業を再開されたという報せは嬉しい。
なお、倉吉の古い町並というと、この記事にも書かれているように白壁土蔵群ばかりが注目されるのだが、これは商家の裏手に当たる部分であり、表の主屋のたたずまいに実際重厚な見ごたえがある。地震前の健全な姿を取り戻せる日が早くやってくることを祈るばかりだ。


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by mago_emon2 | 2017-04-05 23:19 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

生活道整備か景観保存か 架橋撤回 知事、鞆で説明

鞆港埋め立て・架橋計画の撤回について、鞆小で開かれた2日の湯崎英彦知事による地元説明会。住民からは架橋計画の賛否そのままに、湯崎知事への批判と評価の声が飛び交った。生活道路の整備か、景観や町並みの保護か―。相いれない形で、それぞれの思いが色濃くにじんだ。

「命の道を断ち切った。代わりになる生活道路を身をもって考えてほしい」。鞆港西側の平地区の住民たちは、狭い道幅や地域の衰退など、生活道路に関わる課題を指摘。架橋計画を撤回した理由説明に、納得できないとする意見が続いた。
代替として示す山側トンネル案について、商店経営武内孝之さん(40)は町内の交通量が減ればコンビニなどの経営が厳しくなると懸念し、「地元の生活を何も理解していない」と憤った。途中退席した無職男性(72)は、「トンネル案の安全対策が聞きたかった。昔から鞆で生活する住民の声を聞いていない」と不信感をあらわにした。
架橋反対派の住民を中心に、計画撤回を「知事の英断だ」と理解を示す意見も相次いだ。県の事業案に多くの部分で賛同という無職平田由紀さん(58)は「鞆の景色や町並みという財産を、次世代にそのまま渡したい」と受け止めた。
約2時間半、対立し続けた意見に、戸惑う人も。鞆町育ちの大学生女性(21)は「住民側の時が止まっている。もっと未来のことを話し合う場であってほしかった」と肩を落とした。飲食店経営の箱井琴子さん(65)は「架橋賛成、反対どちらの意見も分かる。住民同士がいがみあっていても前に進まない」と懸念を口にした。
【中国新聞 2017.04.03】
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鞆の町並の南西端付近。平地区はこの先にある。


鞆の町中にある県道の幅員の狭い区間。一言でいえば、これさえなければ一連の架橋埋立て計画に対する論争が生じることもなかったわけだ。
この狭小区間の影響をまともに受けるのが、鞆地区の中心の南西側にある平地区。一方で観光ホテルなどもある東海岸地区などは、賛成でも反対でもないという住民も少なくないのではないだろうか。
この知事訪問を控えた3月29日の記事にも取上げられている。
そこには、平地で将来の架橋を睨んで宅地や畑が県に買収された歴史も紹介されている。古くからの港町・漁師町であり、代々の住民の先祖からの思いもあるだろう。
地元のしがらみ的なものを全て汲むのは当然無理がある。住民一戸一戸の負う歴史、思いは一つとして同じものはないだろうし、全住民が満足する解決策はあるはずはない。
ただこのまま手を拱いていてもいいはずは無い。
そしてこの論争によって、古い町並の保存が遅れに遅れていることが何よりも気がかりだ。
今年になって、ようやく重い舵が切られたようだが・・。


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by mago_emon2 | 2017-04-03 21:50 | 鞆の架橋計画と町並保存 | Comments(0)