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このまま消えてほしくない これからなのに・・・松浦亜弥さん PART2

わたしは日本全国の町並を取材してHPを運営している中で、初期の頃訪ねたところを再訪し、そのページを更新したりするときに、そう言えば当時松浦亜弥さんは何を歌っていた頃かということにふと思いを巡らすことがあります。そしてその度にもうこの時期にこれを歌っていたのかと驚きを感じるのです。
本来なら学校生活を基盤に青春を謳歌すべき時期に全く自由が許されず束縛され続ける日々。古くからのファンの人は、もういいよしばらくゆっくり休んでねといった思いを持っている人も多いようです。
余りに走りすぎた10代、そのバランスを取り人間らしさ社会性を取り戻すことで、再開後の活動にも厚みが出てプラスに働く、そのための充電期間?と思えば、残念でもなんでも無い・・そう自分に言い聞かせましょうか。

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20歳を過ぎた頃からでしょうか、彼女はいろんな人と共演して歌ったり、他のアーティストさんの曲を自曲のように歌うことで、その道のベテランの方々に注目されることも少なからずありました。
その中でも特筆されるのが、女性ソロシンガーとしては大御所ともいえる竹内まりやさんでしょうか。
彼女は既に、実際竹内さんによる楽曲の提供を受けています。昨年発売された、提供先の本人歌唱の楽曲群が収録されたアルバムの中で、竹内さんはその1曲ごとにコメントを残されています。
松浦亜弥さんに提供された曲に対してのコメントは以下のとおりでした。

「松浦亜弥さんの歌声が昔から大好きで、私の楽曲だけで構成されたソング・ミュージカルの主役をお願いしたのが2008年。その後たびたびライブに出かけては彼女のステージを楽しんできましたが、アイドルと呼ぶのを憚られるほどの実力派シンガーであり、日本屈指のパフォーマーだと私は信じています。デビュー10周年のベスト盤に書き下ろしたこの作品でも、20代とは思えない歌を聴かせてくれます。亜弥ちゃん、ご結婚おめでとう。これからもずっと歌い続けてください。そして、末永くお幸せに!」

このコメントは、私が歌声が素晴らしい歌が上手いなどと何度も繰返し言うより何十倍も説得力があるでしょう。
竹内さんに限らず、彼女を評価する著名人はかなり多いのです。
そのような人々に囲まれているのに、このまま何も言わず終わってしまうことは、有り得ないことではないでしょうか・・・
本当に歌うことに未練がないのだったら、きっぱりと宣言してしまうはずですが、そこを曖昧にせざるをえなかったのは、以前からの大きな夢だった、子供を授かり家庭を軌道に載せられる最大のチャンスを活かしたいという思いのほうが今は勝っているからでしょう。歌うチャンスは考えようによってはずっとありますが、子供を授かれるそれは期間が短いですしね。

もう以前のように爆発的人気になる必要もないと思いますし、また何が何でも活動に重きを置いた形でなくてもよいと思います。
ただ、「昔よく出ていた頃とは全然変わったね、実力派のいい歌手になったね・・・」といった感想が一般の認識に。
そんな日が来ないでしょうか・・・

そして復帰後、初めてファンの前に姿を現したとき、
「結婚直前だった時期にやった限定ライブで、その最後にファンの人たちが会場を白い光で埋め尽くしてくれたことがずっと目に焼き付いていて。思いがすごく伝わってきて。それに応えないといけないとずっと心の底で想い続けてました・・」
・・なんて。

そんな言葉を聞けるとすればもうファン冥利に尽きますね・・・・・
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by mago_emon2 | 2014-05-24 00:04 | 雑記 | Comments(2)  

このまま消えてほしくない これからなのに・・・松浦亜弥さん PART1

松浦亜弥さんについてここで私が記事を書くのは、これで3度目になります。
「雑記」でも他に似た記事をまた書く事はこれまであまりないのに、なぜなんでしょうね、やっぱり相当思い入れがあるからでしょう。

しかしながら、彼女は昨年夏の結婚で久々に話題になったものの、特にここ数年は一般の人は歌う姿を目にすることはなかったのではないでしょうか。
この3月でファンクラブも解散したことで、今後もしばらくの間は活動することはないものと思います・・

私が一番最初に、彼女について書いたのは昨年7月、折りしも初めて生で歌を聴けたライブ後のことでしたが、実はその会場で本人から衝撃の発言を聞かされていたのです。
(前回ライブを行ってからの)1年半の間、歌いたいと思ったことがなかったと。
その間歌ったといえば、カラオケで数回のみだったと。

遡って20歳前後に行われたコンサートツアーの様子をDVDなどで見ると、本当に歌うことが楽しいという思いが全身からみなぎっているように感じます。
21歳の時のライブでは、自ら絶好調とも言っていました。

なぜこうなってしまったのでしょう。
もう一時のピークを味わって、満足して思い残すことがないから?
世間の目に晒されることに嫌気をさしたから?
それとも体調の問題?

その本当の理由はわかりません。

順調だった矢先、体調の問題が生じてきて、上手くパフォーマンスできなくなってしまったこと、だんだん活動の場も減ってくるにつれ、残念ながら世間からも色々憶測されることも多くなって、悪循環になってしまった・・・
結果的に仕事以外の時間の余裕ができるようになって、それまで味わえなかった普通の生活をすることの楽しさを見出していった・・・・・・そんなところなんでしょうか?

ただひとつ間違いないことは、先のライブ(昨年12月)中に断片的に発せられたコメントなどから感じるに、彼女自身がとても家庭そして子供が大好きで大事にしたいという思いが強いことです。
しかも、妊娠にも影響のある持病を抱えていたこともあって、その思いは普通の女性よりも人一倍強いだろうことは容易に想像つくところです。
その場で断言こそしませんでしたが、今は、やがて生まれてくるであろう子供さんとともに家庭を構築することを優先したい、そういう心境にあるんだと感じています。

私はその点については、心から応援したい気持になっています。表に表さなくとも相当辛い経験を経ての思いであることと察せられますし。
新しい命が・・早くそんな情報が出てこないかなと心待ちにしています。
この気短な私が、珍しいことですが。

幸いというか、まだ彼女は20代です。5年後でも30代前半、仮に10年ブランクが空いてもまだ30代です。まだまだ歌声が衰えてしまうには早く、人生経験も加わって歌唱に厚みと説得力が増す年代ですね。
ブランクを埋めるのに少々努力しないといけないと思いますけどね・・・

歌唱の素質があるから、歌声が素晴らしいから家庭を犠牲にしても歌い続けなくてはいけないという必要はどこにもありませんし、まただから本人もそれに比例して高い歌唱意欲を持っているのが当り前だということもありません。
極端な話、ひとたびお子さんとともに幸せな家族を持つと、もうこの世界には戻ってこない可能性もあると思います。私自身も言いにくいことですが、そのことも覚悟しておかなくてはならないでしょう。それが本人、本人たちの選んだ最善の道であるならば、残念がっても批判するのはおかしいことです。
といいながら、必死に寂しさを押し殺しながら書いているのですが、何年も空いても待つ価値がある人だと思います。

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ただ、私がどうしても堪えられない事があります。
聴く人を感動させるのに十分な素晴らしい歌声、表現力を持つ本格派でありながら、現実にはほとんどそれが知られていません。
実際、この記事を見て、なぜ私が彼女のことを必死になって書くのか不思議に思う人もあるでしょう。
現状はそうかもしれませんね。でもそんな全盛期の可愛いだけのアイドルというイメージのまま世間からだんだん忘れられた存在になっていくことが我慢できないのです・・・
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by mago_emon2 | 2014-05-22 23:06 | 雑記 | Comments(0)  

新たに2箇所が重伝建へ(宮城県村田町・静岡県焼津市花沢地区)

村田町中心部にある「蔵の町並み」を重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定するよう、国の文化審議会が16日、下村文部科学相に答申した。選定されると県内初、東北6県では8番目となる。

 村田町は江戸時代、仙台と山形を結ぶ街道の分岐点にあり、紅花の集散地として栄え、今も商家、蔵など残り、往時の面影が残っている。
 だが、2011年の東日本大震災で被害に遭い、同地区の建物18棟が解体された。重伝建地区に選定されると、国などから補助金として建物の修復費の80%が支給されるため、本格修復が進むと期待されている。
【Yomiuri Online 2014.05.17】
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震災前のものだが素晴らしい町並の残る村田の風景(2005)


県内で初めて文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた焼津市花沢地区は、「花沢の里」として親しまれ、周りの遊歩道をハイキングする観光客も多い。昔からの風情を大切に守って生活している地元住民は念願の選定を喜んだ。
 保存地区は集落と周りの山を含む東西二百四十メートル、南北八百メートルの細長い範囲で、面積は一九・五ヘクタール。保存対象は、江戸時代から昭和初期までに造られた住宅や倉庫など建築物が六十二カ所、石垣など工作物が四十一カ所。川や用水路などが十四カ所。
 地区には四月現在、二十七世帯八十五人が住む。車一台分の幅の坂道沿いに木造の家が連なる。のどかな山村で、明治時代からミカンや茶の栽培、養蚕が盛んになった。
(中略)集落は一般の生活空間で観光客向けの店などは少ない。東名高速道路焼津インターチェンジやJR焼津駅から車で十分。無料の駐車場は集落の入り口から六百メートルほど離れた場所にある。市は「訪れる際はマナーを守り、歴史的な町並みを散策して」と呼び掛けている。
【中日新聞 2014.05.17】
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花沢集落の風景(2009)

今年も新たな保存地区の情報が来たが、村田は順当なところ、花沢は大穴?といったところである。
村田は東北地方特有の店蔵が最も集中して見られるところで、それが連続した町並景観を形成しているという点で非常に貴重なところである。東日本大震災で少なからず被害を受け、記事にある18軒という数字にちょっと衝撃を感じている。しかし、国の補助と地元の努力により隆盛期の街の姿を少しでも取り戻すことができたらと、そんな期待を抱かせる。
花沢はなぜこんなところにといったような周囲を山々に抱かれた集落で、別次元といった空間だ。その特殊性が選定の後押しとなったのだろうか。

何はともあれおめでたい。歴史的町並景観としての魅力を前面に出して、語り継いでいってほしいものだ。
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by mago_emon2 | 2014-05-17 21:42 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

長門・俵山温泉 客減少歯止めへPR

訪れる温泉客の減少に歯止めをかけようと、長門市の俵山温泉が、泉質が美容や健康に与える影響を調査し、効能のPRに乗り出した。科学的に分析した内容で、幅広い世代の利用客を呼び込みたい考えだ。
山あいにひっそりと約20軒の宿がたたずむ俵山温泉は、916年に開湯。強アルカリ単純泉で、特にリウマチに効能があるとされ、湯治客に親しまれてきた。
ところが、1970年前後に約70万人に達していた利用客数は、昨年には約19万人にまで減った。民宿もここ十数年で急激に減少。利用客の呼び込みは喫緊の課題だ。
(中略)泉質や町の雰囲気について、温泉研究で知られる札幌国際大の松田忠徳教授(観光学)が山形県の肘折温泉と双璧をなす「西の横綱」と評した俵山温泉。俵山温泉合名会社は実験データや効果的な入浴法などを盛り込んだ温泉手帳を作成し、配布する予定だ。
【中国新聞 2014.05.14】

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俵山温泉街の風景(2004)

温泉は相変わらず人気のように認識されているが、このような昔ながらの温泉街の旅館は苦戦している例が多いようだ。賑わっているのは、一部の知名度・話題性の高い温泉地、一部の旅館やホテルのみであって、地方の零細な温泉地は軒並寂れているといってもよい。
この俵山温泉は、科学的根拠から温泉の効能を立証し、売り出そうという考えだ。常連の湯治客にモニター調査を依頼し、効果を実証している。
温泉街の町並も昭和レトロを想起させる渋い佇まいで、今後は温泉街としてこのような場所が再注目されることを願いたい。
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by mago_emon2 | 2014-05-14 23:38 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)  

かやぶき屋根 伝統の技体感

近畿大工学部(東広島市)建築学科の学生が5日まで、同市豊栄町能良でかやぶき屋根のふき替えの技を学んでいる。
木造平屋100平方メートル余りの民家。4日は2~4年生13人が参加し、同市志和町のかやぶき職人、石井元春さん(81)たちの仕事を手伝った。昨年12月に刈り取って準備したススキの長さをそろえて束ね、運び上げた。何人かは棟まで登り、熟練の技を間近で見た。
市川尚紀准教授(環境設計)の呼びかけに応えた学生が、所有者の了解を得て、2年前からこの民家の再生に取り組んでいる。雨漏りがし、柱もゆがんでいた家を徐々に修復している。4年生の赤松絵里さん(21)は「真冬の刈り取り作業が大変だった。でも手をかけてきれいになってきたのを見ると愛着を感じる」と話していた。
(「中国新聞」2014.05.05)

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茅葺屋根の葺き替え作業の様子(2005年、富山県五箇山にて撮影)

古い町並を探訪していて茅葺の屋根を持つ民家を見ることは少ない。その絶対数が少ないこともあるが、私が普段テーマをもって訪ねているのは町場として栄えた経歴のあるところなので、どちらかというと豪農宅、農家宅で一軒家に見られることの多い茅葺の民家は余り熱心に見ることはなかった。
しかし伝統的家屋の一形態として、屋根を茅で葺くというのは我国でもひとつの伝統的手法で、その技術を継承することは貴重なことだ。

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東広島市志和町の茅葺き民家

記事で取り上げている東広島市志和町は茅葺きの家屋が比較的多く残されている貴重なエリアだ。
定期的に葺き替えが必要であり、その技術を持つ人が非常に少なく、また高齢化しているため維持は容易ではない。
この学生さんたち、学ぶだけではなくその技術を身に付け、その必要があるとき主力として動くようになってくれるとよいのだが。
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by mago_emon2 | 2014-05-07 22:56 | その他 | Comments(2)