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【雑記】 本に関する旧雑記二題

【旧雑記帳No.22 2010.04.17 「流行を嫌悪する」】今日のニュースで村上春樹氏の著作が異様な人気である旨が報道されている。
これまでの作品を含め、これほどに販売部数の多さで話題をさらう作家は他に居ないだろうし、それだけの価値や魅力があるものなのだろうが、私は今まで氏の作品を手にしたことがない。それどころか全く読む気がしない。
氏が嫌いというのではなく、話題だからとかよく売れているから買ってみようという考え方が私には全く無いからで、特に書物に関してはそういうものは逆に自然と敬遠してしまう。
これは私の中に確固として、書物に限らずあらゆることに関して根付いているものであり、乗用車でもたとえばプリウスは余り買う気にならない。かといって余り個性的な車もダメではあるのだが。

【旧雑記帳No.23 2010.06.24 「七十五回目の長崎行き」】本の話題ということで、続きというわけではないが今日買った書籍について。
吉村昭著のタイトル作、氏の没後に刊行された日常の旅、小説の取材旅行などを取扱った紀行文・取材記である。
表紙を開けると氏の出身地・東京日暮里をはじめ谷中や浅草のことが書かれている。都内に住みながら日暮里までは1時間以上の道のりで、それは既に旅である、戦災に焼け残った懐かしいふるさとを訪ねるのはまさに旅の一つであるということが述べられている。
これは私の思いと重なるものだ。この数ページを読んだだけで、文庫版の出版を待たずに買ってよかったと思えた一冊である。
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by mago_emon2 | 2013-11-30 22:42 | 雑記 | Comments(0)  

のれんで風情 卯建の町並み -吉舎町-

三次市吉舎町の住民有志でつくる「きさ・よいとこ発見隊」が、同町吉舎の七日市通りなどで住宅の玄関先に屋号を書いたのれんを掛ける活動を始めた。
伝統的な防火壁「卯建(うだつ)」が残る風情ある町並みの雰囲気を引き立てるのが狙い。

のれんは縦約90センチ、横約130センチ。生地は紺色でデニム生地製造のカイハラ産業吉舎工場(同町)から無償提供を受けた。記事の裁断や白い文字のペイントは市内の業者に頼んだ。

今月半ば、メンバーの一人で市職員の奥田剛さん(57)宅に第一号となるのれんを掛けた。築約120年の木造住宅で卯建が残る。のれんには奥田さん宅の屋号「辻丸屋」と発見隊のロゴマークをあしらった。通りがかった近くの住民「懐かしい」と屋号の入ったのれんを眺めていた。

発見隊によると、町中心部を南北に走る市道三玉清綱線(約1.7km)内にある七日市通りや古市通り一帯には卯建の残る住宅や商店が約20軒あるという。今後、活動に賛同してもらえる住宅に協力を呼び掛ける。

発見隊の前田博明会長(69)は、「町内に点在する歴史ある建物にのれんを掛けて町の一体感を持たせたい。のれんから街の歴史を知るきっかけになれば」と話している。

(「中国新聞」2013年11月24日)
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吉舎の町並と「卯建」のある旧家の例(分類上は「袖壁」に属するもの)


吉舎の町並は最近再訪したばかりで、この記事に接して嬉しくなった。というのも10年前とほとんど変わらぬその古びた町並に活気が全く感じられなかったからだ。
空き家となったものも少なからず見られ、それらにのれんを施すことで、町民の方々が昔を懐かしみ、少しでも町並や古い建物を意識していただく契機になればと思う。
まだこの町は伝統的な建物を活かした町づくりが可能なほど、その残存率は高い。ささやかなこの取組に期待を寄せたいところだ。
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by mago_emon2 | 2013-11-24 20:23 | 古い町並 | Comments(0)  

進む町並み整備 空家解消に力 -橿原市今井町-

豪商の町として栄え、保存地区の17.4haには江戸期の建物が約400軒残る。全国104の保存地区で最多だ。「江戸期の町家の大半は2階の天井の低い『つし2階』。選定されると原則建て替えができなくなるため、「狭い」「不便」などと感じる人に反対も多かった」今井町町並み保存会の若林稔会長(72)は振り返る。
重伝建の推進、反対両派は町の未来像を何度も協議。「昔ながらのコミュニティーを守る住宅街」を目指して重伝建の道を選び、93年に選定された。若林会長は、「議論と勉強を重ね、『町並みは先人が残した宝物や』と確かめ合った。手厚い補助でまち家が直されるにつれ、その誇りはさらに強まった」と手応えを感じている。
(中略)ただ少子高齢化などで、コミュニティー維持をおびやかす住民減少は止まらなかった。保存地区の空き家は2003年、約100軒にまで増加。選定により、古い空き家が駐車場などに姿を変えることはないため、一層目立つようになった。
危機感を抱いた住民は06年、空き家活用を図るNPO法人を結成した。法人の上田琢也理事長(48)は、「伝統の造りに魅せられ、多少の不便でも町家暮らしにあこがれる人は増えている。そんな人と、家の持ち主、地域をつなげば住民は増えるはず」とみる。
法人は町内の借りられる空き家の見学会を定期的に開催。空き家1軒を貸切で泊まれる施設に改修し、古い町家の住み心地を体験してもらっている。

(「中国新聞」2013年11月19日)

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橿原市今井町の町並

橿原市今井町は我が国でも屈指の古い町並と思っている。学生時代、小さなガイドブックに載っていたこの町、「建物の8割が江戸期の建物」という言葉にひかれ、のんびりと訪ねたのが最初、以後10回近くにのぼるだろう。当時は選定される直前であり自然なかたちで残る江戸時代の町並は、まだ町並の魅力にとりつかれる前の私にとっても衝撃的な印象であり、今でも私の中で特別の町並だ。

この記事は、福山市鞆地区で架橋問題の傍ら古い町家の保存がないがしろになっている現状を憂い、記者が取材に走った記事である。
この今井町の例は、古い町並、家屋の活用、伝統的な町の活性化についてヒントを与えるものと思う。
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by mago_emon2 | 2013-11-20 00:42 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

【雑記】再び地理に強く

私が今の古い町並探訪の趣味に至ったもともとの経緯は、地理ファンというか地図ファンであったことである。小学校の頃には既に全国の都道府県名とその位置、県庁所在地くらいは覚えていたし、祖父が持っていた時刻表をよく読んだ影響で鉄道網にも興味を持っていた。
その後中学3年の夏休みに但馬海岸方面への一人旅に初めて出かけたのをきっかけに、しばらくは鉄道旅行を頻繁に行っていた。ローカル線に乗っていて地方の味わい深さを感じるに至って、それを追求するうちに古い町並になったというわけだ。

地理的関心は世界にも及んでいて、社会科の世界地図を見るうちにほとんどの国名と首都を覚えてしまったのだが、実際大学受験の時もそれが大いに役立ち、地理科目の高得点、ついで得意だった英語(ただし受験英語のみ)によって希望校に合格できた。

しかし、最近それが大きく揺らいでいる。国内では相次ぐ自治体の合併で新地名が続出したこと。ただしこれについては私はいまだに受入れがたい部分があり、あえて覚えようともしないのだが、それが世界にも言えることが最近分かり愕然とした。

社会人になって、しばらく旅行会社に勤務していた私は、航空便の手配を担当した時期もあって、最近時折ウィキペディアで世界の航空会社や空港を検索しては懐かしんでいる。ロンドン・ヒースロー空港の空港コードはLHR、シンガポール航空のコードはSQ・・など。
そんな中でトルコ航空の路線網の充実さに改めて驚いたりしているうちに、その寄港地に聞きなれない国名地名が次々現れてくる。タ・タ・・タタールスタン?ウズベキスタン?旧ロシア・ソ連の共和国が独立したのだろうが、首都もそのとき改名されたらしく全く聞き覚えない。東欧の諸国その他にもそういったところが多数ある。

これではいかんと、初めて世界地図というものを購入した。単なる地図帳ではなく文化面、社会面、経済面などさまざまなデータから世界を見た資料も満載で、地理感覚を取り戻すには絶好の一冊であり、また読み物としてもとても面白い。

「なるほど地図帳 世界2013」(外部サイト)
http://panakin.net/news/book-review-world-maps-2013/


まもなく2014年版がでるようだが、まあそれはいい。
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by mago_emon2 | 2013-11-10 17:06 | 雑記 | Comments(0)  

鞆のまちづくり停滞

 江戸期の風情を残す福山市鞆町で、まちづくりの動きが停滞している。広島県が昨年6月、鞆港埋め立て
・架橋計画を撤回後、計画推進を求めてきた住民との溝を埋められていないためだ。狭い県道の混雑や駐車場不足の対策は、住民との合意がいまだ見通せていない。
(中略)昨年6月、計画撤回の理由について県は「港の景観を変える架橋は観光面で中長期的にマイナス」などと説明。山側トンネルを核とするまちづくり案を示した。これに架橋を求めてきた住民は反発。県は推進派団体の住民と10月までに3回懇談したが、議論は平行線が続く。
(中略)観光客増加に見合った整備が進まない町内では、行楽日に混雑が目立つ。休日だった4日も幅員が平均4mの町中心部の県道で観光客の車がうまく離合ができないケースが頻発。10台以上の車列が向き合ったまま進まず、歩行者や自転車も通行に困った。計約200台分の駐車場は連休時にしばしば空きを待つ列ができる。
 さらに400棟以上が残る江戸期から戦前までの建物も老朽化が進む。住民数は50年前の約1万3千人から約4500人まで減り、修理がなされない空家も増加。今年春にも戦前の町家が1軒取り壊された。
(「中国新聞」2013.11.09)

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私が最近鞆を訪ねたのは9月だが、その時も連休中とあって旧市街中心部を車で抜けようとして、離合の困難さから車が数珠つなぎとなり5分ほど停滞したままであった。伝統的な町家や店舗もあり、散策路でもあるのにこの状況では、住民や観光者の不便はもちろん、イメージの低下にもつながる。
一方で町家はどんどん消えていく。映画などで話題になりそれを種に訪ねる人も多いが、その根底にはやはり古い町並と古い港湾施設の遺構がある。架橋埋め立て、いやトンネルと平行線で延々と議論しているのではなく、まずはそれらの保存を架橋問題と切り離してすすめるべきである。
私自身も何年も前から何度も言っているが、どうしてそれに取組まないのか不思議でならない。
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by mago_emon2 | 2013-11-09 23:52 | 鞆の架橋計画と町並保存 | Comments(0)  

【旧雑記帳No.33(関連)】夜行列車時代の終焉

先日、上野と青森を結ぶ夜行特急「あけぼの」の廃止予定が報道された。
これで夜行列車として残るのは本州と北海道を結ぶ数本の列車、札幌と青森を結ぶ急行列車、四国や山陰にむけての1本のみとなった。しかも前者は北海道新幹線開通の際には、廃止される可能性が大きいと思われる。

私は鉄道旅行を趣味としていた頃から、近年の町並を中心にめぐる旅に至るまで、夜行列車は好んで利用してきた。JR化後夜行列車は次第に減らされ、ダイヤ改正とはいいながら毎度危惧の念をいだかざるを得ない状況だった。
特に痛かったのが、重宝して利用してきた特急「日本海」、急行「きたぐに」の運転終了であった。「日本海」は高校時代、初めて青森まで旅をした帰途に利用して以来、北東北や北海道への旅に便利で何度も乗った。
「きたぐに」は、「日本海」よりさらに利用回数が多く、鉄道主体の旅をしていたときはもちろん、町並探訪でも何度も利用した。新潟だけでなく南東北、さらに直江津で乗換えると北信州方面に実に効率的に到着できる列車であった。時代の流れとはいえこの2本の列車の運転が終了するということは、私の中では夜行列車での旅の終焉を意味するのと同じ重さを持つものであった。

新幹線網や長距離夜行バスの発達、寝台料金の高さの割に低い車内の居住性、運用の効率が悪い上に車両が老朽化し、新造してもコストが回収できる目途はないなど、その理由はあろうが、上の「きたぐに」の例のように他のどの交通機関よりも効率的に到達できる例は多数ある。夜行列車ファンとしては、そこがなんとも惜しまれるところである。

大阪駅に入線する晩年の急行「きたぐに」とその車内(2012.01撮影)
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by mago_emon2 | 2013-11-03 14:20 | 雑記 | Comments(0)