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町並み保存地区 便利に(竹原)

 竹原市は、江戸、明治時代の面影が残る観光スポット、町並み保存地区(同市本町)の散策がしやすくなるよう基盤整備を進めている。出入りが不便な地区の北側の環境改善を重視。橋や市道を建設し、さらに観光客を呼び込む考え。

 北側には榎町、やや南寄りに新町と二つの市営駐車場があり、計66台収容できる。ただ保存地区との間を本川が流れており、車を置いて南側に回る必要がある。榎町駐車場近くに橋を付けて、ほぼ一直線に保存地区に入れるようにする。
 橋は長さ17m、幅12m。総事業費は1億6500万円で、周辺のまちづくり整備の一環として昨年9月に着工した。「小京都」の景観を損なわないよう、塗装は茶色、欄干のデザインにも配慮した。10月ごろの完成を目指す。(後略)

(「中国新聞」8月29日)


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保存地区北端付近の町並


 町並保存への取組というと町家の改修がまず想起されるが、こうした町並探訪者の利便性は意外な盲点といえる。旧家の特別公開、町並を舞台にしたイベント等が行われる際、アクセスの不便さ、駐車場の不足などが明るみとなることは少なくない。竹原の古い町並は知名度も高く、駐車場自体は近年出来た道の駅を含め十分な供給量はある。但しこの記事のように、北側からのアクセスは街路が細く入り組んでいることもあり、利便性はよいものではなかった。
 道の駅は満車でも榎町の駐車場には十分空きがあることも少なくないのは、そのアクセスの悪さと案内不足が影響している。この橋梁の完成で、探訪者が便利に北側から町並に入れるようになるのは嬉しいことである。
 
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by mago_emon2 | 2013-08-29 23:17 | 重伝建保存地区 | Comments(0)  

鞆中生 観光客を招く

福山市の鞆中3年生14人が22日、観光客として訪れた鹿児島県出水市の農家4戸の家族と、同市職員計11人に鞆町内を案内した。昨年11月に修学旅行で訪れた際、民泊の受け入れ先だったのが縁。生徒が持参した手作り資料で鞆の観光スポットをPRし、今回の訪問につながった。
生徒は鞆公民館で11人に歓迎のあいさつをし、4班に分かれてガイド。鞆港の高さ約11メートルの常夜灯前では、「港に残る常夜灯で日本一の大きさです」とアピールした。福禅寺対潮楼も訪れ、江戸期に朝鮮通信使が島々を望む景色をたたえた史実を紹介した。
出水市の畜産業前田淳子さん(53)は「生徒から聞くまで鞆という町があることを知らなかった。港の歴史や心地よい潮風にとてもひかれた」と喜んだ。
(「中国新聞 8月23日)

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(対潮楼からの海景)

この対潮楼の写真を撮影した時、受付の方と少しお話しする機会があった。当時(2007年)は埋立て・架橋計画の賛成・反対派とのせめぎあいが延々と続き、幸いにもこの方は反対派であったので、地元の人にしかわからない様々な問題も聞かせてもらった。

直接海岸が遠ざかると海風が入らなくなり夏がしのぎ難くなること、橋が架っても通過点になるだけで観光客・探訪客の増加につながるとは思えないこと。

鞆のことを少しでも他地域の方に認知していただきたものだ。架橋問題について直接関心をもっていただくことまでは必要なく、鞆という美しい港町が残っていることを認識されるだけで十分である。この中学生による話題は地味ながらも、それに貢献するものだ。このような取組はぜひとも続けてほしいものだ。
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by mago_emon2 | 2013-08-24 23:14 | 鞆の架橋計画と町並保存 | Comments(0)  

【雑記】猛暑がブームに?

今年の夏は例年にも増して猛暑が続いているが、この盆休みを機会に普段見ることの少ないワイドショーなどを見ていると、どの局も申し合わせたように猛暑の話題が報じられている。特に先日国内観測史上最高気温を記録した高知県南西部の江川崎という地区では遠方からも人々が訪れ、一つのブームといった様相を示している。
私は気温の低いのは平気なほうだが暑いのは苦手で、わざわざ訪れる人たちご苦労様といいたいところであるが、これまで岐阜県多治見市や埼玉県熊谷市で記録された高温をわずか0.1・2度上回っただけで、これほどブームのようになってしまうのは滑稽というほかない。しかも多治見や熊谷の人はそれを「悔しがって」いる風にも報じられているではないか。

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2013/08/18の最高気温分布。紫色の箇所は35度以上を記録している(気象庁HPより)

気象予報士で「ウエザーマップ」社長である森田正光氏は、江川崎の記録について少々疑問を呈されている。この地点のアメダス設置位置は、すぐそばにアスファルト舗装された箇所があり、その照り返しで高い数値が記録された可能性があると。江川崎は、内陸の小盆地状の地形もあってもともと高温を観測されやすいところではあるが、確かに40度以上を数日連続記録するというのは異常ではある。
そのような数値に踊らされて?地元が潤うのも如何かと。
普段から気象には少なからず関心を持つ私にとって、興味ある事象だった。

ちなみに森田氏はメディアで長年のキャリアを生かした独自の視点で気象解説をされている。
興味ある人は以下を参照してください(外部サイト)。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/moritamasamitsu/
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map
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by mago_emon2 | 2013-08-18 22:29 | 雑記 | Comments(0)  

木江の名物旅館 取壊し

大崎上島(広島県大崎上島町)の木江港にある木造3階建ての名物旅館「徳森旅館」が取り壊される。造船やミカン景気に沸いた当時の面影を残し、休業してから港のランドマークとして親しまれた。保存、活用を願う声もあったが、所有者が維持、管理が困難と判断した。

(「中国新聞」8月10日)
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※この画像は「徳森旅館」ではありません

木江の町並は独特で、記事にあるような木造多層階建の建築が非常に目立つ。これは限られた土地の中、旅人を多く収容しようとする結果である。また遊興の地としても知られていた当港は、そうした一面を持っていたとも聞く。
狭い路地にそうした建物が密集し、レトロ商店が連続する一角も残っており、保存地区とはならなくともその価値を十分見出せるところである。遊興的歴史を持つ街区は、保存地区として対象外という眼で見られる傾きもあるやに思われるが、それはそれで貴重な文化遺産だ。
こうして人知れず、かつての栄華の象徴が少しずつ失われていくのだろう。

【関連サイト】
http://www.kyoshu-komichi.com/osaki.html
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by mago_emon2 | 2013-08-16 23:38 | 伝統的建造物 | Comments(0)  

【旧雑記帳No.12】イギリス 日本(2008.05.20)

今日仕事中に、不意に子供の頃に聞いた童謡?のレコードを思い出した。
イギリス イギリスという歌詞から始まって、その後日本、上海、四国など次々と国名地名が継ぎ足され最後に東京で終るというものである。
久々に思い起してみると30年近くも聞いていないのにその順番は克明に覚えていて、途中には豪州や名古屋、ハワユ(ハワイ)、九州などが挟まっていた。横文字国名もあれば日本の都市や地方も混じり全く統一性のない無意味な地名の羅列だが、当時聴いた小気味よいメロディーも明確に再現できる。
仕事に疲れているのか、不意に思い起こすと気になってしょうがない。ネットで調べるとどうやら子供の遊びの歌らしく、地方によっても少し内容が違うようである。
http://dep.wink.ac/friend/igiris.htm 
ここで紹介されているのはほぼ私がレコードで聴いたものと一致しているが、ハワユの代りに八幡が入っている。
これは多分、じゃんけんの時の子供の掛け声のように地方に寄って同音異曲に広まっていたものなのだろう。
私はこれを実際遊びの場で使ったことはない。私より年長の方々はよく知っているかもしれない。
そんなことを今日は考えていた。

イギリス        イギリス
日本 ニッポン    イギリス ニッポン
上海 シャンハイ   イギリス ニッポン シャンハイ
四国 シコク      イギリス ニッポン シャンハイ シコク 
豪州 ゴウシュ    イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ  
武蔵 ムサシ  イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ 

名古屋 ナゴヤ   イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ
八幡 ヤハタ     イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ ヤハタ
九州 キュウシュウ イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ ヤハタ キュウシュウ
東京 トウキョウ   イギリス ニッポン シャンハイ シコク ゴウシュウ ムサシ ナゴヤ ヤハタ キュウシュウ  トウキョウ

(原文そのまま、後半の歌詞は文中のサイトから引用)
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by mago_emon2 | 2013-08-09 23:07 | 雑記 | Comments(0)  

「百年企業」~老舗に学ぶ-66-

「月山」の銘柄で知られる吉田酒造は、月山富田城のあった安来市広瀬町広瀬に蔵を構え、「品質第一」をモットーに、良質な米と水で仕込む大吟醸など25種類を販売する。全国酒類新酒品評会では、5年連続を含む通算14回の金賞を受賞。海外輸出や夏専用酒の販売などを新たな取組を展開し、のれんを守る。
創業は江戸中期の1743(寛保3)年。鈴木家が「安屋」の屋号で広瀬藩から醸造許可を受け、1826(文政9)年に藩の御用酒屋になった。明治に入ると、安屋の番頭だった吉田家2代の清兵衛さんが、安屋から酒造業免許を譲り受けて同社初代となった。
(中略)90年代は、日本酒離れと規制緩和の影響もあり、小売店が減少。売り上げは(75年頃に比べ)3割落ちた。
その中でも、93年頃から東京で地酒ブームが起き、デパートが地酒を扱い始めた頃から東京の問屋との取引を開始。純米酒など特定名称酒が売れ、全体の販売量は約1割増加した。
さらに、日本酒輸出協会役員だった松江市の蔵元の紹介で98年、同協会に加盟すると、米国や香港、シンガポールへ純米酒などを200リットル輸出した。現在、韓国や中国、台湾を加えて輸出量は計6000リットルに拡大し、屋体骨に成長した。
(後略)

(「山陰中央新報」8月7日)

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広瀬の吉田酒造(2003年撮影)


古い町並も残る広瀬の町の中心に存在感を示すこの酒造家は、山間部の小さな町の割には構えが大きく、古くから繁盛を続けておられる様子がうかがえた。しかしそれはこの記事のように都市部への売り込みや海外に販路を拡げることにより実現したものだ。
私の住む町にもかつて小さな造り酒屋があった。子供のころ祖父に連れられてその酒造家の脇を通ると、なんともいえぬ香りが漂っていて、子供心にここでは大人の嗜む酒というものが造られていることは察していた。
早い時期に廃業され、現在は土蔵一棟にその残り香があるのみだが、こうした例は無数にあり、日本酒離れの時期に従前の販売方法を取りつづけた零細な業者は軒並その活力を失い、多くの銘柄が消えていった。私は日本酒が格別に好きという訳ではないのだが、それでも各地に出掛けると当地でしか手に入りづらい銘柄の酒を時折求める。その楽しみが旅人から減っていくことは、そのまま旅情が薄れることにつながるのではないかと。この記事を読んで思ったことである。
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by mago_emon2 | 2013-08-07 22:59 | 老舗・伝統産業 | Comments(0)